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◆ 最高師範 上 野 景 範

【師の存在意義】
 
 現在伝承される古武道流派に於ける日本剣法は多くの流派がある。
 流派の元祖はどの人も名人達人だったので、後世までその流儀が伝わったものである。
 故に、どの流派が良く、どの流派が悪いとは言えないであろう。
 誰でも一生懸命修行をすれば皆上手になれるが、各流派に対して、あれこれと悪口を言ったり非難したり、その上自分の稽古の未熟な事を自覚せずに、師を変える等という事は、結局は本当の武術にはならないものである。
 どの様な芸道も皆同じではあるが、特に武道は純粋な気持ちで取り組まなければ、形ひとつ自分のものにする事は出来ない。
 古に、漢の国の李廣将軍が狩りに出て、草の中の石を虎と勘違いして弓で射ったら、その石に深々と矢が突き刺さった。
 その後、石を射て見たが、矢が通る事は無かった。
 これは、初め草中の石を一心に虎と思って射たので深々と射込めたのであるが、次からは、石にも矢は通るかと二気を以て射たので、一矢も刺さらなかったのである。
 こうした例からも、剣術は純粋な気持ちを第一に取り組むべきである。
 業は気から生まれるとは言うが、初めは形の修練から気というものが理解出来るようになり、修行を積み重ねて次第に気・業が一致するものである。
 ここに到達するまでの稽古は大変に難しい事である。
 粉骨砕身の努力をしなければ、到底身につける事は出来ないものであり、故に、師が存在する意味がある。
 師がいなくては、あれこれ試行錯誤ばかりでなかなか先へ進めないものである。
 吉田兼好がその著「徒然草」のなかで、男山の山上にある石清水八幡宮へお参りに行ったのに、麓にある社寺を詣でて、石清水八幡宮へ参ったつもりで帰って来てしまった坊主の話を載せており、これも指導者がいなかった為と書いている。
 特に、武術を学ぶには、指導者はなくてはならないものであり、指導者なくして道を進むには、何十倍もの時間と努力を必要とするのである。


 





                























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