天眞正自源流解説流儀の系譜薩摩武士道流儀の沿革尚武精神の伝承形(法形)の詳解*********************自源流一門入口



■  流儀の沿革  ■ 


  ○ 流儀剣法の始祖

  日本における武術の起源伝説は、武甕槌神を祭る鹿島神宮にその起源を見る事が出来ます。
  記紀神話によれば武甕槌神は、伊耶那岐命が火の神である火之迦具土神を切った際に生まれた神々の一柱とされ、国譲り神話では、建御名方神との力比べでも知られる武神です。

  この武神を祭る鹿島神宮には古来より『鹿島の太刀』と呼ばれる剣法が伝えられていました。
  鹿島之太刀とは、仁徳天皇の時代五世紀前半に、同地の人物・國摩真人が鹿島『高天原』に祭壇を設けて祈祷を行い、鹿島の大神より授けられた『神妙剣』を骨子とする我国初の流儀です。

  鹿島の太刀は上古流、中古流と呼称されるようになり、神官座主の卜部家・吉川家を中心に伝えられ、業に優れた七家が関東七流、あるいは鹿島七流と呼ばれるようになりました。
  良移流・鹿島流・香取流・本心流・ト伝流・神刀流・日本流の七つの流派を総称して鹿島七流と称しました。 
  関東七流からは、京都に於いて鞍馬流が発生し、これを京八流『鞍馬八流』と呼びました。
  京八流とは、12世紀に実在したと伝えられる陰陽師兼兵法家、鬼一法眼の剣術を継承した八名の人物によるもので、 義経流・鬼一流・判官流・鞍馬流・京流・諏訪流・吉岡流を総称して、京八流と呼びました。


  天眞正自源流の根源は、自源齋一任自一坊が創始した上古流鹿島之太刀白源流(はくげんりゅう)を初代の始祖としています。
  これは、朱雀天皇の丞平二年(西暦931年)即ち、平将門の反乱と時代を同じくしています。
  白源流は鹿島の太刀【神妙剣】を母体に、自一坊が天眞剣を創始したことに始まります。
  二代、源童心藤原廣郷の没年は、康平六年二月八十七歳とあり、康平五年(西暦1058年)は、源頼義が安部貞任兄弟を誅殺した年です。
  上古流鹿島之太刀白源流は六代に渡って伝承されました。
  八代、尾井手次郎大夫教高は白源流を継承、忠高、忠教と尾井手家が三代に渡ってこれも継承しました。
  卜部家は鹿島の神官家であり、その卜部の姓を持つ卜部宗俊が十一代目を継ぎ、この卜部家も三代に渡り継承し、十三代卜部宗春が、正中二年三月(西暦1324年)に没しています。
  十四代、八尾別當顕幸に於いて流儀剣法形の総称となる【法形/ほうけい】の名称が制定されました。
  剣の伝統を継承した八尾別当顕幸は、自らの流儀を天眞流又は自顕流と称し、流儀の思想と剣の理法を一巻に纏め次の代に継承しました。

  ○ 流儀開祖と確立

  流儀を八尾別当顕幸より継承したのが常州笠間の武士、小瀬与左衛門尉長宗です。
  長宗は、下総香取の飯篠長威斎に師事し、五年にして印可を得て香取神宮に参籠、感応によって四段の目録を与えられました。そして、創意工夫を積んで燕飛を斬る術を会得しました。
  天眞正自顕流開祖録には、『小瀬与左衛門尉長宗ハ幼名ヲ源太郎ト称ヘ幼キ時ヨリ剣法ヲ好ミ他ニ秀デル者無ク正ニ鬼人ノ如シ源義光候ノ末裔也。』とあります。
  清和源氏、源義家の弟、源義光の血縁で常陸大田に本拠を置き茨城北部と中央部を支配していた佐竹氏一族分系の小瀬氏であると云われています。
  長宗は、飯篠長威齋の天眞正伝香取神道流を飯篠長威斎に師事し、三代盛近より允可を得た後、八尾別当顕幸より継承した流儀に、自等の創意工夫を加えて流儀を興し、これを天眞正自顕流と称えました。
  長宗は天眞正自顕流の全てを、尊行・察見・聴書、の三巻に纏め、諸国を巡り薩摩、現在の鹿児島県に定住する事になります。



長宗が燕を斬ったとされる宗家伝承刀剣

  薩摩では、瀬戸口家に縁を得て瀬戸口政基と改め、これが、天眞正自源流兵法に於ける『瀬戸口備前守政基』の始めです。
  数年を経て自らの兵法を完成するために伊王滝に於いて修行し、見性悟道に至った長宗は、流儀名称を【天眞正自源流】と命名確立しました。
  開祖、瀬戸口備前守政基、永正15年9月23日没。
  天眞正自源流兵法は、政基(政重)の子、第十六代武蔵守藤兵衛尉重為に継承され、重為の養子、第十七代山田長四郎(瀬戸口三左衛門重照・大和守長重)へと継承されました。
  第十八代、瀬戸口基広(和泉守宗重)、第十九代薬丸大炊兵衛兼陳入道(宗春)、二十代薬丸刑部左衛門兼福(新蔵)、二十一代薬丸長左衛門兼慶(黒葛原周次郎)へ譜代継承されました。
  二十二代溝口一心斎一重は、天眞正自源流の伝位制度を確立しました。二十三代溝口源吉、二十四代溝口源之進、二十五代溝口宗重、二十六代溝口玄心へと五代に渡り継承されました。


○ 近世以降の流儀継承

   第二十七代上野源心は、大正3年上野家の次男として生を受け、三歳より剣の修業を始め八歳で、溝口玄心の門人となり、十九歳で宗家を継承しました。

                      
          【若き日の上野源心と二十六代溝口玄心師】            【二十七代上野源心師】

  源心の功績は、戦後荒廃した世代に武道を通じて尚武精神を伝え、昭和三十九年に尚武館道場を設立したことです。
  昭和48年5月23日天眞正自源流兵法第二十七代宗家上野靖之源心師父永眠。




景範最高師範    童心宗家
  第二十八代上野景範、昭和29年、源心の長男として生を受け、源心と同じく三歳より真剣を手にして、流儀を学びました。
  昭和49年、第二十八代宗家を継承、平成9年御流儀最高師範。

  現二十九代宗家上野童心、昭和31年、源心の次男として生を受け、兄と同じく、三歳より流儀を学び、平成9年、第二十九代宗家を継承。

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