天眞正自源流解説流儀の系譜薩摩武士道流儀の沿革尚武精神の伝承形(法形)の詳解*********************自源流一門入口



 剣 法 講 話 


(一) 事理一致の事

そもそも当流儀の肝心な点は技((わざ))にある。

義の為に技を使うのは、武術に於ける正しい道理である。

その為には、第一に技の修得を基本として,

強弱・軽重・進退などの動作を十分に会得しなければならない。


そこで初めて、その会得した技が、

敵に応じて変化するという道理を明確に理解すべきである。


たとえ技に習熟するという長所があったとしても、

道理を明確に理解していなければ勝利を手に入れることは難しい。


また道理を明確に理解していたとしても、技に習熟していない者は、

勝利する事は出来ない、技と道理とは,車の両輪の如く、不即不離のものである。


技は外面的なものであって、これは形である。

道理は内面的なものであって、これは心である。

技と道理とに習熟することができた者は、道理を心に修得して、

技を手に応用して、技に熟練しているのである。


その、技と道理とに、習熟する極みに達した時、技と道理とは

一つのものとなり、内面、外面の区別はなくなる。


技は道理となり,道理は技となる。

技以外のところに道理もなく,道理から離れたところに技もない。

即ち、剣術を学ぶ者が、技だけにとどまって道理の善し悪しを理解しなかったり

、或いは、心にだけ執着して技の可否を理解しない場合,これは偏りということになる。


技や道理に偏ったり、或いは執着したりすれば、

敵に応じて変化することができない者となってしまう。


従って、当流儀の剣術は、事理不偏ということを要として、

剣心不異に到達するための伝授を根本義としているのである。

 

(二) 有構無構の事

 陣構えには、天・中・地・陰・陽の五種の形がある。

その夫々に、天・中・地・陰・陽の五種の変化がある。

古伝に於いて、構えを陰陽の二つに定め,それを体中剣,剣中体というのが是である。

陰の構えに陽の変化があり,陽の構えに陰の変化がある。

従って、その構え自体に善し悪しはないのである。

どの構えでも修得し、我が心にかなった構えを用いるべきである。

教伝として,そればかりを用いるという構えはない。

その取捨選択は己自身にある。

構えで勝利を得たいと思う者は、外面的には充実していても、内面的には空虚となり、

これを構えに心を取られていると云うのである。

内面と外面、虚と実の区別がない心境の構えを、当流派においては無形の陣と云う。

間違って、心を構えに捕られてしまった者は、

偶然、その構えがその場に合った時には勝利を得ることが出来るが、

合わない時には即座に負けてしまう。


必勝を期す構えはなく、事理一致の正しさに陣構えの必然性があるといえよう。

構は千変万化の源であり、強弱・軽重の源である。

従って、無形の構えをよくよく鍛錬すべきである。

陰の構えでもなく,陽の構えでもなく,その形はあっても,

心をその構えにとどめない状態を無形の構えと云うのである。


構えと心とが一致する位というのが,無形の構の完全な状態である。

構えが千変万化するのは,物に応じて構えの形が現れて来るからである。

千変万化が起こるのは、構え自体がまったく無形である為である。

これを顕して、形があって、形がなく、形のようなものとなり、

有構無構と伝えられる流儀の奥秘剣となるものである。

 

三) 勝負一貫の事

 剣術に於いては、負ける処と勝てない処というのを理解すべきである。

負ける処というのは、まず勝てると思う処にある。

勝てない処というのは、敵が十分に守りをなしている処にある。

負ける理由は己にあり,勝てない理由は敵にある。

勝ちたいと願う者は、自分が負ける理を理解していない。

負けている処がありながら勝ちたいと願うのは、

敵の勝っている処を理解していないからである。


勝つことがなければ負けることもない、

負けることがなければ勝つこともない。


従って、十分の勝利の背後に、十分の敗北の要因があり、

十分の敗北の背後に、十分の勝利の要因がある。


勝って、自分が敵に負けている処を理解し、負けて、

自分が敵に勝っている処を理解しなければならない。


自己の事理を正しく修得し,敵の事理を推察し,

敵に応じて変化すべき道理である。

 

(四) 威・位・勢・移・意

威というものは、敵に相対した時に臨んでも変化しない。

その備えが正しく明確であって、事理に転化することができない

という本質を有するものを威と云う。


動く事なく敵を制するのは、威の作用であって、この状態を不転の位と云う。

また、動いている敵を制するのは、勢の作用であって、この状態を転化の位と云う。

威は静であって、千変を備えており、勢は動であって、万化に対応する。

従って、威で敵に応じ、勢で敵に勝利するのである。

移とは、我敵共に前後左右へ移動する転化動作であるが、

これは月が水面にその姿を移動させるようなものである。


これを進心の位と云い、相手の心に一気通貫して、いつでも勝てる状態を顕す。

移とは,水面が月を写すようなものであって、

これを残心の位と云い、敵から離れた状態を顕す。


故に、道理でこれ等を教示する際には、水月の伝授と言い、

技でこれを伝える際には、移と云うのである。


目を用いて見ることを目付といい,道理を用いて守ることを移と云い、

技術を用いて攻めることを写と云うのである。


水と月との間合いに遠い、近いの区別はない。

間合いの遠近によって相手を攻めようとする時は、逆に移ということを失ってしまう。

このことを移に心を取られてしまった状態と云うのである。

心は、水と月とが不変の関係にある、その境地に至り、技は敵に応じて

進心・残心、いずれか良い法を用いる時に、勝てないと云う事はない。


月は無心にその姿を水面に移動させ、水面は無心に月の姿を写し出し、

内面に於いて邪念をなすことがなければ、

技は外面において正しいものとなり、その境地を意と云うのである

 

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